2003年8月10日に、那覇空港駅から首里駅まで(12.9キロ)開通した沖縄都市モノレール/ゆいレールが、2019年10月1日には、首里駅とてだこ浦西駅間(4.1キロ)が延伸開業しました。これにより、ゆいレールを利用することで、那覇だけでなく浦添市の観光も手軽にできるようになりました。上の写真は、ゆいレールの新しい終点駅、てだこ浦西駅の1つ手前の浦添前田駅です。
2020年1月半ばに、ゆいレールの浦添前田駅で降りて、浦添市の文化財を見て回りました。開業から4か月が経っていますが、駅舎はまだ一部が完成していませんでした。
エスカレーターも使えませんでした。
浦添高田駅前は、工事真っ盛りでした。
上の写真の左奥に浦添高田駅が見えます。
駅の近くにあったフォルクスワーゲンです。
駅前の道を西に向かって少し歩くと、右手に上の写真の坂道が見えます。坂道の右奥に小さく見えている建物は、県営浦添大公園の南エントランス管理事務所です。
坂道を進むと、この先に石畳道と浦添城跡があるとの案内がありました。
植物を見ると沖縄にいるのだと実感できます。
「史跡の現状変更の禁止」の看板がありました。
1月ですが、緑が鮮やかです。
先に浦添城の前の碑をみてから浦添城跡に行くことにします。
山というか丘を登りきると、ゆいレールと浦添の街並みを見ることができます。
浦添城の前の碑が見えてきました。
浦添城の前の碑の説明文です。
「この石碑は、一五九七年に浦添グスクと首里を結ぶ道路を整備した時の竣工記念碑です。石碑の表に平仮名の琉球文、裏に漢文で、尚寧王の命により国民が力をあわせて石を積んで橋を架け、岩を刻んで道路をつくったことが記されています。もとの石碑がさる沖縄戦で台座もろとも破壊されたため、一九九九年に復元しました。」(一部抜粋)
復元された浦添城の前の碑です。
この上に浦添城が建っていたのでしょうか。
上の写真の石垣は、復元されたものなのか元からあるものなのかは分かりません。
殿(トゥン)の説明文です。
「トゥンはウチマー(稲・麦の豊作を祈願、または感謝する祭り)など村の祭りを行う場所で、この浦添城内のトゥンでは仲間集落と前田集落が一つになって祭りを行っていました。ウチマーの際は日本の竹を結び合わせたアーチを作り、それに向かってノロ(王府から任命され王国や村々の祭祀を取り仕切った神女)をはじめ、参列者が手を合わせてから祭りを行ったそうです。アーチは神々が通る門を表現したものと考えられています。」
正殿跡の説明文です。
浦添城の正殿跡と考えられている場所です。
浦添城跡の説明文です。
「13世紀末に造られたグスクで、中山(ちゅうざん/沖縄本島中部)を勢力下におく支配者の拠点と考えられています。14世紀後半から15世紀ころには大規模なグスクになりました。政権拠点が首里城に移った後の16世紀には第二尚氏第三代の尚真王の長男である尚維衡が住み、それ以降は彼の子孫が屋敷を構えていたようです。しかし1609年の薩摩侵入の時に焼け落ちてしまいました。1945年の沖縄戦ではグスクがある丘陵は前田高地(米軍にはハクソー・リッジ)と呼ばれ日本軍の陣地となったことから激戦地となり、残っていた石積み城壁などが失われてしまいました。」(浦添市文化財ガイドブックからの引用)
駅とは反対側の眺望です。
海が見えました。
県営浦添大公園として整備されていますが、
かつて激しい戦闘が行われた地でもあります。
浦添市の歴史散歩はまだ続きます。
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