2020年1月の那覇・浦添の旅で訪れた、浦添城跡などのある沖縄県立浦添大公園を中心とした浦添歴史散歩の続きです。上の写真は、ディーグガマの案内板です。
前回の記事もご覧ください。
ディーグガマは、鍾乳洞が陥没してできた御嶽(うたき)です。デイゴの木があった洞穴(ガマ)が名前の由来です。一七一三年に成立した地誌『琉球国由来記』には、浦添城内の御嶽について記されており、その中に「渡嘉敷嶽」という名前が見られ、それがディーグガマにあたると考えられています。戦後はガマの内部にコンクリートブロックの囲いを造り、その中に戦没者の遺骨を納めました。後に、遺骨は糸満市の摩文仁へ移されています。(浦添市教育委員会の案内文より)
ディーグガマの入口です。
落盤の恐れがあるため、中に入ることはできません。
少しだけ、中の様子を見ることができました。
ディーグガマの近くに、浦和の塔があります。
浦和の塔は、沖縄戦で散華した人々を祀る慰霊の塔です。一九五二年に市民の浄財と本土土建会社の協力によって建立されたもので、納骨堂には浦添城跡を中心に市内各地で散華した軍人や民間人五、〇〇〇人余柱が安置されており市では毎年十月には、慰霊祭を催し英霊を慰めています。(浦添市役所の案内文より)
浦和の塔の裏側には、「一九五二年八月十五日建立」と書かれています。
浦添家の屋敷跡です。
この一帯にみられる敷石は、第二尚氏第三代国王尚真王の長男である尚維衡(しょういこう)を祖とする、浦添家の屋敷の跡かもしれません。敷石は一九八三年の発掘調査で確認され、明朝系瓦(中国の技術で造られた瓦)がみつかっています。尚維衡は、父・尚真王の不興をかい、首里から浦添城に移されました。第七代国王の尚寧王は浦添家の出身で、尚維衡のひ孫にあたります。(浦添市教育委員会の案内より)
復元された浦添城の城壁が見られます。
残っていた切石を生かし、失われた部分に新しい切石を積み上げることによって復元したとのことです。
伊波普猷(いはふゆう)の墓がありました。
次は浦添ようどれに向かいます。
琉球国中山王陵 浦添ようどれの大きな案内板がありました。
浦添ようどれに入れるのは、9時から18時の間です。
浦添ようどれの入口です。
浦添ようどれが見えてきました。浦添八景と書いてあります。
昭和九年頃の暗しん御門(くらしんうじょう)の写真があります。
暗しん御門は、加工した岩盤と石積みでできたトンネル状の通路のことです。薄暗くひんやりとしていて、地下通路をとおって「あの世」に行くような雰囲気でしたが、沖縄戦で天井の岩盤は崩れてしまいました。(案内文より)
暗しん御門(くらしんうじょう)の天井部分はありません。
浦添ようどれは、十三世紀に造られた英祖王の墓といわれ、一六二〇年に尚寧王により改修されました。改修のいきさつは「ようどれの碑文」に記されています。墓室は向かって右の西室が英祖王陵といわれ、向かって左の東室に尚寧王と彼の一族が葬られています。墓室には骨を納めるための石製の厨子が安置されています。沖縄戦や戦後の採石で浦添ようどれは徹底的に破壊されましたが、一九九六年から実施した発掘調査の成果に基づき、二〇〇五年に戦前の荘厳な姿を復元しています。(浦添市教育委員会の案内文より)
墓室に入ることはできません。
見慣れない不思議な植物です。
県営浦添大公園の外になりますが、浦添グスク・ようどれ館があります。小さな資料館ですが、浦添ようどれの西室(英祖王陵)が実物大で再現された展示があります。
クチグヮーガマ(六班の壕)です。
入口の形が人間の口に似ていることからクチグヮーガマと呼ばれ、沖縄戦の際には仲間六班の住民が避難したといわれています。仲間六班の壕については、「当初10家族程が避難していたが、兵隊がガマに入り砲爆撃も激しくなったため、最後は3家族となった。これらの家族がガマを出るときは周辺に数多くの戦死体があった。」との証言があります。落盤等の危険があるため中に入ることはできません。(案内文より)
復元整備された石畳道です。
一五九七年に整備された首里と浦添城を結ぶ石畳道です。首里の平良橋(太平橋)が木製の橋であり、雨が降ると道がぬかるみ、人々が往来するのにとても不便であったため、尚寧王の命により整備したことが、道の完成を記念して建てられた「浦添城の前の碑」に記されています。二〇〇六年からの発掘調査では尚寧王が整備した当時の石畳を確認し、当時の石を生かしながら復元整備しました。(浦添市教育委員会の案内文より)
石畳道を歩いて下り、ゆいレールの浦添前田駅に戻ります。
上の写真の建物は、浦添大公園南エントランス管理事務所です。この管理事務所には、浦添グスクの展示コーナーがあり、歴史ガイドの方に解説していただきました。
ゆいレールの浦添前田駅から、宿泊している那覇市内に戻ります。
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